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ひとりで楽しも。

ひとりで楽しも。

自分用メモ2

http://homepage1.nifty.com/eggs/borderline.html

■特徴
 境界例(境界性人格障害)になぜ「境界」(ボーダーライン)などという名前が付いたのかというと、最初のころ神経症と精神病の境界領域の症状を指して境界例と呼んでいたからです。しかし、今では境界性人格障害として一つの臨床単位となっています。症状は非常に多彩で、一見何の問題もないような人から、アダルト・チルドレンと言われるような症状や、リストカット(手首を切る自殺未遂)を繰り返すケースや、幻覚や妄想を伴って、まるで分裂病かと思われるような激しいものまであります。全体的には心の不安定さや急激に変化しやすい感情などが特徴です。多数の研究者が、幼いころの母親との関係が原因であると考えています。有名人で境界例と思われる人には、あのダイアナ妃をはじめとして、他にもたくさんいるようです。
 人口の約2パーセントが境界例と言われていますので、単純計算しますと、日本では約250万人が境界例の問題を抱えていることになります。
 境界例の特徴としては下記のようなものがあります。
・ 自分の生き方がわからない。
・ 現実を理解する能力が貧弱。
・ いつも場違いな所にいるように感ずる。
・ 自分のすべてを受け入れてもらいたいと望んでいる。
・ 感情の移り変わりが早く人間関係が不安定。
・ 愛し方が不十分であるという理由で相手を責めたてる。
・ 仕事に不満を持ちやすく転職を繰り返す。
・ 一見、周囲にうまく適応して見えることもある。
・ 自分と他人との境界があいまい。
・ 他人への評価が極端から極端へと揺れ動く。
・ 人生の価値観や目標が突然変わったりする。
・ キレやすい。
・ 二者関係にしがみつく。
・ 自殺未遂を繰り返す。
・ アル中、浪費癖、過食、淫乱、ギャンブル狂、暴走行為、薬物中毒
・ などなど

 
■原因とそのメカニズム
 原因は赤ん坊のころに始まります。赤ん坊は成長するにつれて、ハイハイをしたり、あるいは歩けるようになるとヨチヨチ歩きで、この世という未知の世界へと探検に出掛けます。その途中で、ふと不安になって母親の存在を確かめようとして振り返ることがあります。そのとき見た母親の表情から、赤ん坊はいろいろなことを学びます。健全な心を持った母親であれば、赤ん坊が独り立ちして自分から離れて行くことを素直に喜べますので、赤ん坊に対して励ましの笑顔で応えることが出来ます。

 しかし、母親によっては、赤ん坊が自分から離れて行くことに対して、まるで自分が置き去りにされたかのような淋しさを感じる人がいます。赤ん坊が自分の力で移動できないときには、生きることのすべてを母親に依存していますので、母親は赤ん坊から必要とされる存在であることに歓びを感じることができます。しかし、赤ん坊が成長するにつれて自分が必要とされなくなっていくことに気付いたとき、とても寂しくて悲しい気分になる母親がいるのです。
 このような母親の場合、赤ん坊の方からはどう見えるでしょうか。振り向いたら、そこに母親の寂しそうで悲しそうな顔が見えたとき、もしかしたら母親から遠ざかることは悪いことなのだろうか、と思うようになります。親を悲しませた自分は、もしかしたら捨てられてしまうかもしれないという不安にとらわれます。そして、こういうことが繰り返されると、親から自立して独り立ちしようとする衝動を抑えるようになります。本来なら、身体的にも精神的にも母親から分離して一個の独立した「個人」になろうとするのですが、こういった精神の健全な成長をためらうようになります。こうして、母親の「いつまでも依存されていたい」という無言のメッセージに応えるかのように、赤ん坊は心の成長を自分で押さえ込んだり後戻りさせてしまうのです。

 健全な赤ん坊は自分の精神的な自立を支持してくれる「良い」母親のイメージを心に定着させます。赤ん坊の段階で取り込まれた「良い」母親のイメージが、その後の健全な心の成長の基礎となります。しかし、見捨てられる不安に付きまとわれている赤ん坊は分離不安をかき立てられることによって、母親からの精神的な分離独立(精神的にこの世に誕生すること)という、大切な作業に失敗してしまうのです。


( これは母親の性格だけではなくて、家族が不幸に遭遇したり母親に悲しい出来事があったときとか、あるいは夫の不在が長引いて、心の空白を埋めるために赤ん坊の存在にしがみついていたというような場合にも起こります。しかし、母親の心が健全であれば、その後の成長段階で修復されゆく部分もあるのではないかと思います)
 このような母親は育児を続ける中で、子どもを自分に依存させるために「見捨てる」という脅しを効果的に利用するようになります。この脅しは、分離不安を煽ることになりますので、親にしがみつくように誘導するにはもってこいの手段となります。子どもは生きることのすべてを親に依存していますので、たとえば「おまえなんかうちの子じゃない」「橋の下に捨ててしまうぞ」というような言い方は効果的です。

 しかし、子どもの方はどう思うでしょうか。不安と恐怖を覚えると同時に、依存をもてあそばれたことに対する言いようのない不快感と憤りを感じたりします。しかし、親に向かって怒りを表現することは、さらに「見捨てられる」事態を招いてしまいますので、憤りの感情は強く押さえ込まれてしまいます。そして、この憤りの感情は後に治療場面で大きな意味を持ってきます。

 この「見捨てる」という脅しは、精神的な虐待や、ひどい場合は肉体的な虐待となってはっきりと現れることもありますが、逆にそれとはわからないように巧妙に隠蔽されいる場合もたくさんあります。たとえば、子どもが《自発的》に何かをやり遂げようとするとき、うまくやり遂げられるかどうかを必要以上に過剰に心配したりします。このような過保護の親は、子どものためを思って心配しているのですが、その言動とは裏腹に、まるで失敗することを望んでいるかのような心配の仕方になってしまうのです。このような過剰な心配は、子どもの失敗することへの不安を増大させてしまい、結果として親の「本心」が望んでいる通りに《自発的》な行為を失敗させることに成功してしまいます。そして、親は子どもの失敗を一緒になって嘆きながら、子どもとの甘美な一体感を味わうことに成功するのです。

 親は脅しというムチだけではなくて、アメも使います。自立をあきらめた褒美としてさまざまな「甘やかし」を与えるのです。あるいは、自立しようとしている子どもの目の前で、親に依存することがいかに楽かを見せびらかして、子どもの精神的な自立を失敗させようとすることもあります。馬の目の前にニンジンをぶら下げて誘導しようというわけです。

 見捨てるという脅しが子どもの心に与える影響は、「自分は親から見捨てられてしまうような、愛される価値のない人間なんだ」という、間違った考えを形成してしまうことです。そして、親が自分に対して取った態度を、子どもは自分自身に対しても取るようになります。つまり、自分で自分を見捨ててしまうのです。

 こういった一連のメカニズムによって、親からの精神的な分離が恐怖となり、自分が何者なのか分からないような混沌とした自己イメージを作り上げてゆきます。そして、このメカニズムが抱えている様々な問題点は、子どもが成長して青年期に達したときに一気に表面化します。なぜなら、この時期こそ親からの分離を否応なく求められるからです。思春期の性の目覚め。社会人としての生活。恋愛と結婚。あらゆる面で自立しなければならないのですが、長年にわたって親から刷り込まれた歪んだメカニズムから抜け出すことができずに苦しむことになります。このように、境界例は原因が乳幼児期にあるのに、青年期になってから問題が表面化するため「青年期境界例」と呼ばれることもあります。

 今まで母親の影響を中心に書いてきましたが、もちろん母親だけでなく、父親や周囲にいる人たちの影響も無視できません。

 なぜこういうメカニズムが発生するのかというと、母親自身も境界例、あるいは潜在的な境界例なのです。ですから、自分自身の分離不安が赤ん坊に映し出されてしまうのです。そして、自分がかつて親からされたような陰険な手口を自分の子どもに対しても使うのです。かつて被害者だった体験から、不安でオドオドしたときの心理状態は充分に理解していますので、「見捨てる」という脅しの使い方は実にツボを得たものとなるのです。このようにして、境界例は世代間を伝達されてゆきます。


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